勿忘草 第七話

 

 

私は泣いていた。
いや。
泣いているのだろうか。
涙は出ていない。

だが。

心は悲しい。
哀しい。
空しい。
虚しい。

胸がきりきりする。
きっと泣いている時と同じ感情が私の中を支配している。
・・・・・・
涙を流してみようか?なんて考えてみる。
涙とは、意識して出そうと思ってみてもなかなか出せないものだ。
取り敢えず、形だけ。
両手で顔を覆ってみた。
傍から見たら、泣いているように見えるだろうか。

・・・・・・

なんだか可笑しく思えてきた。
私は何をしているのだ。
泣きたいのか、笑いたいのか。どっちなんだ。

「君も泣いているの?」

不意に声がした。

私は顔を上げ、覆っていた手をゆるゆると下げる。
隣に男の子が居る。
いつの間にいたのだろうか。
気が付かなかった。

年は小学校に上がる前くらいだろうか。
今の私の姿と同じくらいだ。

「はい、これ」

男の子は掌くらいの白く四角い布を私の方に差し出した。
私は素直にそれを受け取る。
その白い四角い布は、簡素で周りに青い縁取りがしてある。
柔らかい手触りだ。

「ハンカチ。使ってもいいよ」

「はんかち」

私は言葉を反芻した。

「僕も、お母さんに怒られた時とか、よくここに来るんだ」

男の子は照れたように、鼻の頭をぽりぽりと指でかきながら言った。

ここからは町が一望できる。
寺の境内の裏側にあり、この場所には滅多に人は入ってこない。
境内の方では、よく子供達が遊んでいるようだが。
子供達の遊ぶ声を後ろに、町の景色を上から眺める、というのが
私の気分転換になっている。

声を掛けられたのは初めてだ。

「たっくーん、どこー?」

遠くの方から、また別の子供の声がした。


「あ。今行くー!」

男の子は後ろを向いて、その声に応える。

「たっくん」
「ごめん、僕、そろそろ行くよ」

私は「はんかち」とやらを握りしめたまま、男の子をじっと見つめた。

「ハンカチ、返さなくて良いから!」

男の子は手を振りながら、向こう側へ走って行ってしまった。

私ははんかちを広げたり、ひっくり返したりと、しばし観察する。

ふむ。

ひとしきり調べた後、はんかちをきれいに折り畳むと、自分の懐にしまった。
さて。

そろそろ私も帰ろうか。

***

その後。

度々その男の子とは会話を交わすようになり、そのうち他の子供たちに交じって遊ぶようにもなった。

たまにはこういうのも良いかもしれない。
子供らと戯れるというのも、悪くはない。

数日間ではあったが。

大変有意義な日々であった。

だが。

それも今日で終わりか。

・・・・・・・・

最後にお別れをしておこう。
記憶を消すのは少々惜しいが致し方あるまい。

「紗埜ちゃん…?」

案の定、というかやはり今日も、彼はそこにいた。
最後は彼だ。

「たっくん、あたし、もうみんなとあえない」

私はそう切り出した。

つうと一筋、私の瞳から雫がこぼれ落ちた。

これは。

これは何だろう。

この感情は何だろうか。

「紗埜ちゃん、それってどういう事?」

彼とはもう、会えないのか。
そう考えると、胸がきりきりと苦しくなった。

悲しい。
哀しい。
空しい。
虚しい。

ああ。
分かった。

これが。

これが涙というものか。


 

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