勿忘草 第八話

 

 

あまり寄り道に時間を掛けるのもよろしくない。
俺はそろそろ帰ることにした。
というか、昼飯が俺のネギと大根を待っている。
早く帰らねば。

歩みを速め、帰りを急いだ。

屋敷の前まで来ると、魅月さんが誰かと話していた。
何だか神妙な顔をしている。
そういえば、用事はもう済んだのだろうか。
魅月さんと話しているのは、白衣を着た背の高い男性だ。
手には黒い鞄。医者か何かだろうか?

おや。

この男。
どこかで見覚えがある。

・・・・・

八百屋に行く途中、すれ違ったような気がする。

二人はこちらに気が付いたようで、同時に俺の方を見た。

…この男。

あの時の和装の男ではないだろうか?
ちらりとしか見ていないが、顔立ちが似ているような気がする。
違う点があるとすれば、片目を覆い隠すように眼帯をしている事か。 
ちょうど、ものもらいの人が付けているような白いものだ。
それから、雰囲気が随分と柔らかい。
ただの優しそうなお医者さんにしか見えない。

男は、俺に向かって一礼した。
つられて俺も、軽く会釈する。

「おつかいですか?ご苦労様です」

にこやかに話しかけてきた。

「はあ、どうも」

「お帰りなさい、佐伯さん。お買い物、ありがとうございました。」
魅月さんはそう言いながら、俺からビニール袋を受け取り、
「これでお味噌汁が作れます」
と、にっこり微笑んだ。

「それでは。私は戻りますね。お疲れ様でした、佐伯さん。
 それから安部さん。今日はありがとうございました。」
深々と頭を下げ、魅月さんはお屋敷へ戻っていった。

さて。

魅月さんがこの場からいなくなり、男二人、取り残されたわけだが。

この男、アベというのか…。

「あ、どうも。はじめまして。私、この近所で開業医をしています。
 安部といいます。
 『安い』にオオザトヘンの『部』で安部です。」
と言いながら、指でふにゃふにゃと空中に文字を描く動作をする。

白々しい。
何が「はじめまして」だ。
ご丁寧に名前と職業まで紹介されてしまった。
ん?開業医?

「…はじめまして。佐伯です。」

取り敢えず、俺も合わせておくことにする。

「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

もう会話が途切れた。

「えーと…」

俺は何か話題は無いだろうかとあれこれ考えるが、
どうしてもアレに目が行ってしまう。

「ところでその目はどうしたんですか?」

眼帯を指さしつつ、俺は尋ねた。
やはりその事が気になってしょうがない。
…いきなり核心に触れてしまっただろうか。

「ああ、これですか」

安部、とやらは、眼帯に手をやる。

俺はこころなしか緊張する。
心臓の鼓動が速くなる。
あの時に見たんだ。
片方だけ青い瞳。
その眼帯の向こうに、青い瞳があるんだろう?
それを隠すために、その眼帯をしているんだ。
あんたは、あの時の

「これはですねー」

安部はちらりと、眼帯をめくって見せた。
その隙間から見えた瞳の色は。

「ものもらいです。」

黒だ。

「は?」

黒い瞳だった。
普通の瞳の色だ。

「あれ?」

…人違い…か?

「まあ、あまり人様にお見せするようなものではありませんねー。
 はっはっは。
 あ。今、医者のくせに、って思いました?」

「いや思ってないです」

なんだこの人。

「双子の兄弟とか、居ませんか?」

ダメ元で聞いてみた。

「いえ。私は一人っ子ですよ」

そんなに都合は良くないか…。

「あ」

彼は急に大きな声を出す。

「な、なんすか?」

たじろぐ俺。

「良い香りがしてきましたね。
 お食事の用意が、そろそろ出来るころではないでしょうか」

そういえば、お屋敷の方から美味しそうな匂いがする。
言われて気が付いた。

「では。私はこれにて。」

安部は片手を上げると、くるりと踵を返し、すたすたと歩き出した。
何だかよく分からない男だ。
変な人だけど、悪い人ではなさそうだ。

俺もちょうど、お腹が空いてきたところだ。

さて、今日のお昼は何だろう。
ここの食事、結構美味しいんだよな。
俺は鼻歌交じりに、屋敷の門をくぐる。

「そうそう佐伯さん」

「うわあびっくりした!」
後ろから急に声を掛けられ、俺は思わず声を上げた。

帰ったはずの安部が、にこにこしながら後ろに立っている。

「ま、まだ何か?」

急に声を掛けられたという驚きと、鼻歌を聞かれたかも、という恥ずかしさで
声が上ずる。

安部は、すっと右手の人差し指を一本立てた。

「君がどう選択するのか。
 決めるのは君次第ですよ、佐伯くん」

『さん』なのか『くん』なのか統一してほしい。

いやいや、そんな事よりも。

「何の話ですか?」

「それでは。
 今度こそ、失礼しまーす」

「こら、俺の質問に答えろよ」

俺の声が聞こえているのかいないのか、
安部は振り返りもせず、手をひらひら振りながら歩いて行ってしまった。

なんなんだよ。

なんだっていうんだ。

どいつもこいつも、思わせ振りな事ばかり言いやが

「佐伯さん。ご飯、できましたよ。
 ご一緒にいかがですか?」

心臓が止まりそうになった。

魅月さんが、エプロン姿で後ろに立っている。

「どうかなさいました?」

「え?ああ、いや…」

俺はひどく険しい顔をしていたようだ。
魅月さんは心配そうに、俺の顔を覗き込む。

「お昼、できましたか。いやあ、楽しみだなー。
 さ、行きましょう。
 冷めないうちに食べたいです」

無理矢理笑顔を作り、俺は屋敷の方へ向かう。

「先に手を洗いましょうね」

「はいはい」

お母さんと子供のようなやり取りをしながら魅月さんも後へ続く。

無論。

さっきの安部の言葉を気にしていない訳がない。
俺の頭の中にずっとへばり付いている。

その真意は何だ。
言葉が抽象的すぎて分からない。

今度見かけたら無理矢理とっ捕まえて聞いてやるわ。


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