勿忘草 第八話

 

 

翌日。

午前中の仕事をあらかた片づけて、昼休みまで少し時間が空いた。
さてどうしたものかと思案していると、廊下を歩く深雪の姿を見つけた。
Tシャツに短パン、手首にシュシュというラフな格好をしている深雪に、俺は声を掛けた。

「なに」
気怠そうに髪をかき上げながら、素っ気ない返事をする。

「ちょっと付き合ってくれ」

なぜかいきなり殴られた。

「何すんだいきなり」

「それはこっちのセリフでしょ?何言ってんの急に。
 バカじゃないの。なんであんたなんかと…」

「何を勘違いしてんだお前は。
 ちょっと一緒についてきてほしい所があるんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

深雪の顔が赤くなったと思ったら、眉間のシワが急に深くなり、
ぶるぶると震えだした。

「お、どうした急にげふ」

俺のお腹に深雪の拳がめり込んだ。



・・・・・・・・・・・



「相変わらず乱暴な女だな」

自分のお腹をさすりながら、俺は深雪と並んで廊下を歩いていた。

「ちゃんと説明してくれれば良いのに。
 紛らわしい言い方するから」

口を尖らせて、深雪は何やら文句をたれている。
今、俺と深雪がいるのは、自分が泊まっている部屋と反対側の廊下。
つまり、例の女の子がいると思しき和室の方向である。
時間が空いたので、ちょっと確かめてみたくなった。

今度こそ行けそうな気がする。


ただ、人の家を他人が一人でうろうろすると怪しまれる。
丁度良く深雪が現れたので、ついてきてもらおうかと考えたわけだ。
一人で行くのが怖くなった、という説もあるが、まあ、それは置いておく。

「一体何を勘違いしたのかな、深雪ちゃんは」
「うるさいバカ。ほら、着いたよ」

深雪の言うとおり、俺達は廊下の突き当たりに来ていた。
突き当たり、である。
少しも歩かないうちに、もう結論が出てしまった。

まず、あの時より廊下が短い。
こんなにすぐに行き止まりでは無かったはずだ。
そこにあるのは、蔓を編み込んだようなランプシェードの間接照明。
そして、突き当たりの壁には、何かの植物が描かれた掛軸が飾ってあった。
こんな場所に見覚えはない。

「うーん…。何も無い、か」
「何探してんの、バイト君は。」

深雪の問いには答えずに、俺は壁をぺたぺたと触ってみる。
仕掛けらしいものは何も無い。

「ここに『どんでん返し』とかさ。無いのかよ」
「ある訳ないでしょ?
 ここは忍者屋敷じゃないし」

俺は意味ありげな掛軸をじっと見つめ、しばし考える。

「こういう場合、この掛軸の裏に何かありそうだよな」

そう言いながら、掛軸をぺろん、とめくってみせた。
そこに見えたのは、ただの白い壁だけだった。
四角くくり抜いた秘密の抜け道や、謎のスイッチがあるのでは、と
期待してみたのだが。

ううむ。はずれか。


「その掛軸。結構値段張るみたいだよ、
 あまり乱暴に扱わない方が良いんじゃない?」

そう言われて、俺は慌てて掛軸から手を離した。

「そう言う事は早く言え」
「だって、言う前に触っちゃったし」
「…まあ良いや。
 じゃあ、次はこっちだな」

壁に向かって右側に、襖が見える。
ぴたりと閉まっており、中の様子を窺い知ることはできない。
耳を押し当ててみるが、物音一つせず、人のいる気配はない。

「ここは何の部屋だ?」

指をさして、俺は深雪に尋ねた。

「物置だけど。前に言わなかったっけ」

「ああ、ここの事か。
 本当に物置なんだろうな。開けても良い?」

「疑り深いなあ。別に良いけど」

深雪はもう飽きてしまったのか、壁にもたれかかり、
自分の髪の毛をいじっている。

「よし、開けるぞ!」

意を決して、一気に襖を開ける。

埃っぽい空気が俺の鼻先を掠めた。
中は薄暗い。
まず視界に飛び込んできたのは、左右に置かれた年代物の古めかしい箪笥。
使うつもりがあるのか無いのか分からない、懐かしい健康器具。
そして、うず高く積み上げられた無数の箱。
箱。
…箱。

これはどう見ても物置だ。

「どう見ても物置だな」

「だから物置だって言ってるじゃん」

「うん…。なんかごめん」

俺は力無く、そろそろと襖を閉めた。

「…急に素直になって、なんか気持ち悪いんだけど」

何も無くてがっかりした。
さっきまでのやる気など消え失せた。

気が抜けてしまった。

「はーあ。あと何日かなーバイト。頑張るかー」

「何、そのやる気のない態度。お姉ちゃんに言いつけるよ」

「すいませんそれは勘弁してください」

「あんたさあ、実はバイトするふりして金目の物でも盗みにきたんじゃないよね?」

「アホか。だったらお前なんか連れてくるわけないだろ」

「その掛軸、50万くらいするよ」

「マジか」

思わず目を剥いて、掛軸を見つめる俺。

「・・・・・・・・」

「冗談だよ。ただ、あの夜起きたことが本当かどうか確かめたかっただけだって」

「ふーん…」

「あら、二人とも。ここにいたの?
 そろそろお昼よ。」

ここで魅月さんが、何処からともなくひょっこり現れた。

「あ、お姉ちゃん。うん、今行く」

「俺も行きます」

「じゃ、よろしくね」

にっこり微笑むと、魅月さんは行ってしまった。

「魅月さんてさあ」

俺は小さくなる魅月さんの背中を見つめる。

「何だかタイミングよく現れるよなー。そんな気しないか?」

「そう?普通じゃない、気にしたことないよ」

「あ、そういえば考えてたんだけど」

魅月さんで思い出した俺は、前から考えていたことを深雪に話す。

「何を」

「お前の名前は深雪。つまり『雪』だ。」

「で?」

「魅月さんは『月』。」

「うん」

深雪は聞いているのかいないのか、再び自分の髪をいじりだした。

「『雪』『月』と来たら、次は『花』だろ。
 つまり、だ。第三の娘がこの家のどこかにいる。
 名前は『美花』。
 どうだ、俺の推理は?」

「そんな人はうちにはいない」

こちらを見もせずに、深雪は冷たい口調で言い放つ。
俺の見事な推理は、にべも無くあっさりと否定されてしまった。

「くそー。良い線いってると思ったのに…」

「残念だったね。別に見事な推理でも何でもないけど」

と、手首のシュシュで無造作に髪を束ねながら、深雪はすたすたと魅月さんの行った方向へ歩き出した。
俺も慌てて続く。
 
何の手がかりも収穫も無し、か。

「あーあ。今日のお昼は何かなー」
 
と、がっかりした気持ちを紛らわそうと今日のお昼ご飯に期待を寄せる。

「ソーメンとかじゃない。
 あんたはお客さんじゃなくてバイト君なんだから。」

「ソーメンでも十分おいしいぞ。あのタレとか薬味とか…」

ふと。
縁側に差し掛かったあたり、視線を感じて何気なく外の方に目を遣る。

知らない男と目が合った。

思わず足が止まる。
深雪もそれに気が付いたようで、つられてそちらを見る。

塀の上から覗く顔。
その男は、中年なのか老人なのか、判別しにくい。
ぎょろりとした目、浅黒い肌にくっきりと刻まれた顔の皺。黒と白の混ざり合う頭髪。
猫背気味に頭を前に出しこちらを見ている。
人を見下したような、嫌らしい目つきで、俺と深雪を交互に見る。
どす黒くねばねばしたものが体から染み出して、俺の体に絡み付いて来るかのようだ。
嫌な男だ。

「誰?」
「知らない、見たこと無い」

男はニヤリとねちっこい笑みを浮かべたかと思うと、急に険しい顔になり、くるりと踵を返した。
猫背気味な体を揺らしながら、ひょこひょことどこかへ行ってしまった。

・・・・ん・・・
不意に耳鳴りがした。

「なんだ、あいつ」
「さあ…。警察呼んだ方が良い?」
「いや…特に何された訳でもないからな。
 まあ、用心だけしとこうか。」

一瞬、周りの空気が冷たくなったような気がする。

「ああー、ざわざわする。もういいや、早く行こうよ」

深雪は身震いして自分の体を摩った後、俺の左手を掴もうと、手を伸ばす。

バチッ

手と手が触れ合うか触れ合わないか、という瞬間。

音は無かったが、電流が流れたような衝撃が二人に走る。

「うわ、何?静電気?」

深雪は慌てて手を引っ込めると、自分の手を摩った。

「・・・・・・・・」

「どうしたの、ぼーっとしちゃって」

「え?」

言われて、ふと、我に返る。

「ああ、先に行ってて。俺ちょっと、部屋に忘れ物」

俺はひらひらと手を振って、深雪を促した。

「あそう、じゃ、先に行く」

深雪は再び縁側の方を見、誰も居ないことを確認すると、小走り気味に食堂へ向かった。

「・・・・・・・・」

俺はしばらく、深雪の背中を見送る。
深雪には見えていなかったんだな。

俺にははっきりと見えた。

それは手と手が触れる瞬間。

女の子が現れたのを。
白いワンピースを着た、髪の長いあの子だ。
彼女は深雪の手を振り払った。
その瞬間、青白い火花が散った。

ほんの一瞬ではあったが。
確かに俺は見た。

そして。

心なしか、彼女の顔が怒っているように見えた。
気のせいだろうか。

全身が粟立つ。

じいわじいわと蝉の声が聞こえ始める。
強い日差しが、良く磨かれた廊下の床に反射して眩しい。

ああ、今は夏なんだよな。

夏なのに。

どうして。

どうして俺は震えているんだ。



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