勿忘草 第四話

 

 メモを片手に狭い路地をしばらく行くと、賑やかな通りへと出た。食品や雑貨などを売る小さな店達が、軒を連ねている。時折、店の主人と客の談笑が目に留まる。都会の生活に慣れていた所為だろうか。こういった風景が妙に懐かしく感じる。

 ここ近辺では、スーパーなどの類は無く、ここに住む人達の買い物は専らここでするらしい。しかし、あんな大きな屋敷に住んでいながら、買出しを頼むのはどういうことだろう。住んでいる人も多いのだから、一遍にたくさんの食材を仕入れれば良いのに。・・・もしかして、俺があそこに居なかったら、神宮寺家は昼飯抜きなのか?いや、大根とネギのみで賄える料理などあるかどうか分からないが、少なくともネギの入っていない味噌汁になるか。・・・・・それは嫌だな。

 などと、個人的解釈を延々としていると、前方に八百屋らしき看板が見えた。メモを見ると、店の名前が一緒であった。もう必要は無いと、メモをポケットに押し込もうと前から目を逸らした時。

 どんっ。

 誰かと肩がぶつかってしまった。

「あ、すいません」

「いえ、こちらこそ。急いでいるので、失礼するよ」

 そう言うとその人は足早に去ってしまった。白衣を着て、手に黒い鞄を持った男だった。往診へ行く途中の医者だろうか。ちらっとしか見られなかったのだが、かなりの長身で若い男のようだ。ふと気になったのは、片目を何かで覆っていたように見えた事だ。本当に少ししか顔が見られなかったので、それが何かは分からない。とはいえ、いずれにせよ俺には関係の無いことだ。俺は気を取り直して、八百屋へと急いだ。

 *********

 店の奥からは、威勢の良さそうなおばちゃんが出てきた。

「おや、いらっしゃい。このへんじゃあ、見かけない顔だね。ああら、神宮寺さんのところで働いているの?若いのに感心ねえ。ええと、大根とネギ。ちょっと待ってて、すぐ用意するから」

 俺が何もいう暇も無く、おばちゃんは勝手に喋って勝手に解釈して、大根とネギを見繕いはじめた。俺は、片手を前に突き出しメモを渡した格好のまま、しばし固まってしまった。ううむ、恐るべし・・・・

「あんた、神宮寺さんとこで働いているのかえ?」

「うおっ?!」

 唐突に下の方からしわがれた声がし、思わず声が出てしまった。見ると、一人の老婆がこちらを見上げている。身長が低い上に、腰の曲がった老婆は、どちらかといえば身長の高い方である俺から見ると、かなり小さく見える。よって、見下ろさないと会話が出来ない。

「ああ、政子さん。白菜、椎茸、人参なんてあるかね」

 どこかで聞いたような野菜の羅列である。それはともかく、俺に話し掛けておきながら、いつのまにか八百屋のおばちゃんに注文なんぞをしているあたり、普通の人ではない。80近いのだろうか。容姿は年老いて見えるが、言葉は割とはっきりしているのだが。

「失礼だね。あたしはまだ77歳だよ」

「十分80近くじゃねーか・・・・って、人のモノローグを勝手に覗くなっ」

「ひょひょひょ・・・・伊達に歳はとってないわ。それしきのことで怒るとは、まだまだ若いの」

 奇妙な笑い方をする人である。それにしても、これは歳の問題では無いような気がする・・・・

「で、そうなんじゃろ?」

「・・・何がですか?」

「ううっ、最近の若いもんは、年寄りの話も聞いてくれんのかのう・・・」

 しなをつくって泣き崩れる婆さん。勿論、嘘泣きである。

「・・・えーと、神宮寺さんのところでバイトしてますけど・・・・」

 こういう種類の人間と話をすると異様に疲れる。

「そうかそうか。あたしはこの町に嫁いできてから長い事住んでおるのだがな、あの家は・・・・」

 思わせ振りなところで言葉を切る。あの家が一体何だと言うのだろう。

「居るぞ」

「は?」

「あたしの故郷の地方では『ホソデ』とか『ナガテ』などと呼ばれているんじゃ」

「・・・・なんです?それ・・・・」

「うむ。天井の梁からな、すうっと白く長い手が伸びてきて・・・・」

「怪談話かよ」

「馬鹿者。そもそもその御方はな、その家の・・・・・」

「梅さん、また若い人捕まえて怖い話してるんですか?」

 話を割って入ってきたのは八百屋のおばちゃんだった。大根とネギ、お待たせ、と、俺の手に新聞紙の包みを手渡した。どうやら包装紙は新聞紙を使っているらしい。

「ビニール袋に入れたほうが良い?そうねえ、ちょっと待ってね」

 肯定も否定もしていないが、そのように解釈したようだ。確かに必要ではあったのだが、相手に何も言わせないとは、さすがである。・・・・もしかしたら読心術を使えるのかもしれない。んなわけないか。

 棚の引出しからビニール袋を引っ張り出すと、おばちゃんは手早く包みを入れた。

「ありがとうございます」

「また来てね」

 代金を払うと、俺はポケットから再びメモを取り出し、帰り道を確認する。

 ふと振りかえると、婆さんとおばちゃんが仲良く世間話に花を咲かせていた。さっきの話の続きが気になるのだが、話の途中に割って入るのも忍びない。それに、おばちゃんの口振りからすると、あの婆さんは若い人を捕まえては怪談話をし、怖がらせるのが好きらしい。ということは、あれは作り話だったのだろうか。紛らわしい人である。

『居るぞ』

 その言葉が妙に気になった。『出るぞ』なら、まだ分からないでもないが、『居る』という事はそこに住みついているということなのか。

 幽霊が住み着いている・・・・。なんだかぴんと来ない。

 ・・・・・・・・・・・・・所詮は作り話だ。

 夏の太陽が、商店街を照らしている。今日は結構暑い日なのだなと思いつつ、額から流れる汗を拭い、屋敷へと急いだ。

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