勿忘草 第三話

 

 朝日が眩しい。

 たまらず目を開け、しばし天井とお見合いをする。まだ眠い目を擦りながら布団から這い出し、窓の方へ歩いていく。障子を勢い良く開けると、雲一つ無い青空が広がり、蝉の声がじいじいと響いている。今日も暑くなりそうである。

 俺は顔を洗うために洗面所へ向かった。確かトイレの近くだったような気がする。途中で女中さんと会い、道順を聞きながら行った。お若いのに早起きとは感心ですねえ、と言われ、ふと腕時計に目をやると、まだ六時を少し過ぎたところであった。どうりで眠いはずである。いつもならまだ夢の中なのだ。まあ、たまには早起きも良いものだ。それに、雇われた身であるのに、遅くまで寝ているというのも忍びない。

 洗面所に着き、手早く洗顔を済ませると、もと来た道を引き返す。途中、縁側を通るとき、何気なく庭の方に目をやった。昨日、汗だくになりながら草むしりをしたが、結局半分までしかできなかった。自分で手入れもできないくせに、こんな大きな庭なんか造るなよ、などと思いつつ、暫く庭を眺めていた。

 ・・・・・・・・・。何かがおかしい。

 昨日確かに、半分草むしりを終えたはずである。だが、目の前には、草むしりをする前の、草がぼうぼうに生えた庭が広がるばかりである。さらに、草むしりをしていなかった地帯の草は、昨日より背が高くなっている。

 成長したのか。この一晩のうちに。そんな馬鹿な。だが、目の前の光景は夢ではなく、事実である。

 ちょうど、女中さんがこちらに歩いてきた。おはようございます、と挨拶すると、笑顔で挨拶を返してきた。庭の異様な光景に気付いたのか、女中さんは口元に手をやり、

「あら、またですか」 

 と、呟いた。特に驚いた様子は無い。・・・また?以前もこのような事があったのだろうか。俺が尋ねると、

「ええ、私は、ここに来てまだ間も無いんですけど。古参の方の話によると、14、5年前からこのようなことが度々起こっているそうなんです。私も何度か見まして、その度に草むしりが大変なんです。余程栄養が良いんでしょうね。でも、1日でこんなに伸びるのは、私初めて見ました。」

 平然とそんなことを言う。普通はこんな光景を見たら我が目を疑うだろう。この家の人達にとっては日常的な事で、こういった感覚が麻痺しているのだろうか。ふと、女中さんは何かを言うと、俺の前を通り抜けていった。恐らく、「お先に失礼します」とかいった台詞だったのだろうが、聞き逃してしまったために挨拶を返すこともできなかった。

 ・・・・・・・・・・・・

 今日の仕事も、草むしりだそうだ。たとえ今日やったとしても、次の日また同じような光景を目にすることになるのではないか。そう女中さんに漏らすと、女中さんは

「やはり男の方は力仕事ですよ。」

 と、わかったようなわからない理由を言い、足早に自分の持ち場へ帰っていった。なんでも、この時期は夏休みと称して実家へ帰省する人が多く、人手が足りないため、残っている人達でなんとかしなければならないらしい。いやはや、なんだか大変そうである。などと、人事のように思い、俺は頭にタオルを巻きながら外へと出た。日射病予防、というものである。昨日の二の舞にはなりたくない。色んな意味で。

 外へ出てみると、以外に肌寒かった。空には太陽が眩しく照っているというのに。強い日差しに目を細めながら俺はしゃがみこんだ。なんだか変な気分だ。そういえば、今朝あれだけうるさく鳴いていた蝉の声が途絶えている。

 空気が濃い。いや、何かが空気に混ざりこんでいる。そんな感じだ。だが、不思議と嫌な感じはしない。むしろ懐かしいような、物悲しいような、なんだかよく分からない。

 ふいに、背後に人の気配がした。俺はなんだか怖くて振り向けなかった。足音はだんだんと近づいてくる。やけに覚束ない足取りだ。ひたり、と足音は止まる。

 そして。

「やっほー、バイト君。朝から精が出るねえ。」

 その言葉とともに後頭部をパコンと叩く手のひら。俺は危うく地面に突っ伏すところであった。

 言うまでも無く。深雪である。

 水色のキャミソールに青を基調とした花柄のスカート。チューリップハットに、妙に高い底のサンダル。覚束ない足取りはこの為であったのか。

「なんだよ、朝っぱらからおめかしして。彼氏でも探しに行くのか?」

「違うわよ。えっと、なんでも今日、パパの大事なお客さんが来るらしいから・・・」

「お前はうるさいから外へ出ろ、と?」

「うっ、ま、まあ、その・・・。でも、お姉ちゃんもそう言われているし、お小遣い貰ったし…。今日は友達とぱーっと・・・。って、そんなことよりあんた、頭にたんこぶ出来てるわよ。」

「・・・・・・はあ?」

 何の脈絡も無くその話題が飛び出し、俺は眉をひそめた。

「おまえな、もっとちゃんとした日本語喋れ。」

「んなこといいから。ほら、そこよ、そこ。」

 深雪に促されるまま、俺はタオルの上から頭をさすってみた。

 すると、確かに頭の後ろ辺りが盛り上がっている。タオルの上からでもそれがわかる。

「なんだこりゃ。いつのまに・・・・ん・・・?」

 頭の中で何かを急速に思い出そうとしている。そういえば、昨日…

「寝返り打った拍子に壁に頭ぶつけた、とか?どういう寝方してんだか・・・」

 深雪は呆れてそう言う。

「勝手に決めつけんな。・・・うん、そうだよ、確か昨日の夜誰かに後から殴られて…」

「言っとくけどあたしじゃないわよ。」

 訝しげにこちらを見つめながら、自分の無実を主張する深雪。

「まあ、女に後をとられたとあっては末代までの恥だが。・・・あれは男・・・だったかなあ・・・。なんせ暗かったからな。」

「さっき、おもいっきり後とられたくせに。」

「やかましい。あれは不慮の事故だ。まあ、それは置いといて、だ。深雪、もう一度聞くぞ。」

「な、何を?」

「本っっっ当ーにお前達は二人姉妹だよな?」

「しつこいわねえ。で?今度は何を見たの?棍棒持ったごつい兄ちゃん?」

「あのな・・・。俺が見たのは、十歳に満たないような小さい女の子だった。しかも夜中だから客の可能性は薄い。さて、ここで問題です。その子は誰でしょう?」

「知らない。」

「・・・ノリが悪いな。そうかあ、知らないか…。ああ、それじゃあ問題其の二、俺の今泊まっている部屋と反対側の廊下の奥には何がある?」

 その問いに、深雪はしばし考え、

「えっと、客間と反対側だから…。物置?」

「え?・・・ほ、他には?」

「無い。」

 きっぱりと言い放つ深雪。

「嘘をつけ、嘘を。小さい和室があっただろうが。」

「無いってば。あそこは物置と、反対側は壁になってるの。その壁の向こうは応接間。」

「・・・・・・・・」

 俺は言葉を失う。どうしてこうも話が行き違うのだろう。

「・・・あのさあ、あんた、病院行ったほうがいいんじゃない?髪の長い女、だの小さい女の子、だの。ここに居ない人間を見るし。今度は部屋が一つ増えた?あたしの家は幽霊屋敷じゃないんだからね。」

「うーん・・・まあ、そうだよなあ・・・そう、なんだけど・・・・・」

「あたし、もう行くからね。あんたに付き合っている暇なんて無いんだから。」

 と言い残し、煩悶とする俺を置いて深雪はさっさと出ていってしまった。

 考え込むと、頭のコブが疼き出した。先程までなんともなかったのに、深雪に指摘されてから急に痛みだした。

 しかたなく、俺は一時作業を中断し、頭を冷やすために屋敷の中へ戻った。

 ・・・・・・・・・

 屋敷の中は閑寂としていた。

 女中さんの姿も見当たらない。そういえば、大事なお客が来るから外に出されたと深雪が言っていたな。女中さんもその対象なのだろうか。・・・俺は良いのか?

 いや、そんなことよりも。洗面所かどこかで頭を冷やさなくては。

 俺は足早に洗面所のほうへ向かった。

 途中、誰とも会わなかったが、なんとか道に迷わずに目的地へ辿り着くことができた。

 さっそく、頭に巻いていたタオルを水で濡らし、患部に当てる。ひんやりとして気持ちが良い。

 それにしても、である。ここにコブができているということは、昨日の夜のことは夢ではなかったという事になる。あの女の子も、小さな和室もこの屋敷に存在する、ということだ。

 ならばなぜ、深雪は知らないと言ったのだろう。とぼけているだけなのか、それとも・・・本当に知らないのか。嘘をついているのだとしたら、どうしてそんなことをする必要があるのだろう。そういえば、昔望まれぬ子供が出来た場合、家のどこかに閉じ込めて、世の中に出さずに一生を送らせるなどという風習があったとか無かったとか。そんなものが、このご時世に行われているというのか?

 しかし、ここは閉ざされた辺鄙な村ではない。たとえ、ここが旧家でも、昔の風習を今でも律儀に守りつづけているとは思えない。深雪を見ればわかる。

 だとすれば一体…

 思案の末、俺はもう一度例の和室へ行くことにした。もう一度あの娘に会って確かめたい。幸い、この屋敷には俺とここの主人とお客さんしか居ないらしい。というわけで、俺は踵を返した。

 と、その時。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・」

 話し声がする。俺は咄嗟に、物陰に隠れた。なぜ隠れる必要があるのかは謎だが、何となくやばい気がして、取り敢えず息を殺して人が通り過ぎるのを待った。

「先生、今回もお願いします。」

 男の声がした。これは確か、ここの主人である神宮寺泰蔵の声だ。面接のときに二、三会話を交わしたので覚えている。恰幅の良い、白髪の初老である。彼が見た目通りの年齢ならば、深雪や魅月さんは結構遅くに出来た子供だということになる。まあ、そんなことはどうでもいい。

 俺は少し身を乗り出し、様子を伺った。神宮寺の横に、若い男が一人歩いている。若いといっても、三十前後だろうか?青白く、無表情な顔。よくよくみると、日本人離れしたかなりの美形である。男の俺から見ても、それを認めざるを得ない。それに、その身形が普通でない。着物に袴。和装である。この屋敷によく合っていて、鎌倉時代かどこかに戻ったような、時代錯誤を感じる。顔を見なければの話だが。なんだか、違和感がある。顔と服装が合っていない。 

 先程、神宮寺が先生と呼んでいたのはこの人の事だろうか。だとすれば、医者でないことは確かだ。こんな格好をした医者は見た事が無い。・・・舞踊の先生かな?

 などと考えているうちに、だんだんとこちらに近づいてきた。慌てて身を隠そうとすると、一瞬、男と目が合った。

 青い瞳。それも片方だけ。もう片方は茶色いのか黒いのか分からなかった。

 瞬間、背筋がぞっとした。冷たい視線。頭から氷水を被った様な気分になった。

 男は俺を睨み付けると、何事も無かったかのように神宮寺に付いて行く。その後を、三、四人の黒い背広の男達が付いていった。恐らく神宮寺の付き人か何かだと思う。

 俺は。

 しばらくそこを動けなかった。腰が抜けていたのかもしれない。

 あの冷たい視線に恐怖を感じたのかもしれない。

 いつのまにか、頭の痛さなど吹っ飛んでいた。

                                 

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