勿忘草 | 第二話 |
「ふう、いい湯だった」 あのあと。草むしりを再開した俺は、日が落ちるまでやりつづけたが、結局全てをやることはできず、女中さんに続きは明日やるように言われたのだった。全身汗だくになった俺に、お風呂まで使わせてくれて、今あがったところ、というわけだ。 体から湯気をのぼらせ、タオルで髪を拭きながら廊下を歩いていると、茶髪の女が向こうから歩いてくる。ちなみに、俺の髪も茶色だが、この家にそんな髪をした女といえばあいつしかいない。 「よお、深雪」 俺は片手を上げて挨拶する。深雪は、今から風呂に行くところらしく、バスタオルやら何やら、色々抱えている。 「げっ、まさかあんたの後に風呂に入ることになるわけ?あたし・・・」 顔をしかめつつ、呟く深雪。 「開口一番がそれかい・・・。まあ、そういうことになるな。」 「バイト君のくせに一番風呂なんて良い身分ね。」 「へっ?一番だったのか?ううむ、なんと待遇の良い・・・・何をたくらんでいるんだ?まさか寝込みを襲うとか・・・」 「人の家族を何だと思ってるのよ。・・・・・・あ、そうだ。」 深雪は意味ありげな笑みを浮かべると、廊下の端に俺を引っ張りこみ、 「ね、お姉ちゃんどうだった?」 「どう・・・って?」 「だからあ、お姉ちゃんに惚れたんでしょ?告白した?」 「いつそんなこと言ったよ?それに、俺の会った娘とは違う人だったぞ」 「?どういうこと、それ・・・」 「今日、深雪の友達とか遊びに来たか?例えば、髪が長くて白いワンピースを着たような娘とか」 「知らないわよ、そんな娘。もしかしたら、パパのお客さんの娘さんかもしれないけど・・・。あたしはずっと部屋に居たから。なんなら、パパに聞いてあげようか?」 「いいのか?」 「あたしねえ、今欲しいバッグがあるんだよね」 突然、今の話と何の関係もない話題が飛び出す。 「だからどうした」 「世の中持ちつ持たれつって言葉知ってる?」 「知らない」 背を向けて部屋へ帰ろうとする俺の腕を引っ張り、深雪は再び廊下の隅に連れ込む。 「なんだよ?」 「女の子の頼みを無下に断るつもり?」 「先に頼んだのは俺だ。そもそも、なんで話を聞くだけでんなことしなくちゃならないんだ?」 「世の中ってのはそういうものなの」 「どういう世の中だ?だいたいな、鞄の一つぐらい持ってるだろ?これ以上持っててどうするんだよ」 「服装に合わせて色んなバッグが必要なのよ。これだから乙女心を知らないバカは・・・」 「女って難しいな」 「そういう台詞を言うって事は、さてはあんた、経験少ないでしょ?」 やたらと大袈裟にこっちを指差す深雪。 「経験って何のだ?」 「語るに落ちたわね。だいたい、夏休みの真っ只中、どこにも出掛けずバイトに明け暮れる!これぞまさに、彼女のいない証拠だわ。」 「そういうお前こそどうなんだ?って、聞くまでも無いか」 「なっ・・・、それってどおいう意味よ?だいたいねえ、・・・」 かくて。第一回口喧嘩王決定戦の火蓋は切って落とされた。 「二人とも何してるの?廊下の隅で。」 が、あっさりと戦いの幕は降りた。 「お姉ちゃん・・・」 いつのまにか、魅月さんがそこにいたのだ。 「あまり騒がしくしないようにね。今日はお父様もいらっしゃるから」 「ごめんなさい・・・。この男が、しつこく言い寄ってきたの」 深雪は急にしおらしくなり、俺を指差してこう言ったのだ。 「こらこら、勝手なことを言うな。誰が誰に言い寄ったんだ?」 俺が文句を言うが早いか、深雪はさっと魅月さんの後ろに隠れた。御丁寧にも舌なんぞを出している。 「佐伯さん、深雪と仲良くしてやってくださいね」 「え、ああ、はい・・・」 なんとなく話がずれてるような気がしないでもないのだが、そこを指摘すると更に話がややこしくなるだけなので、取り敢えず相槌を打っておく。 「それじゃあ、あたし、お風呂入ってくるね。」 何故か苦笑しつつ、深雪は廊下の奥へ走っていった。そういえば、あいつはそのためにここにいたんだよな・・・。気がつくと、俺の髪の毛もほとんど乾いてしまっている。 「ねえ、佐伯さん」 唐突に、魅月さんは俺の名を呼ぶ。予想もしていなかったので、返事をし損ねてしまった。だが、魅月さんは構わず続けた。 「この家に来て1日。正確には半日かしら。この家のこと、どう思いますか?」 「え、ど、どうって・・・。大きい家だなーと・・・」 突然の質問に、小学生でももう少しましな答え方をするぞ、というような、なんとも間抜けな事を答えてしまった。 だが、魅月さんにとっては割と的を得た回答だったらしく、こくりと小さく頷くと、 「そうね。確かに、端から見れば、大きい家かもしれない。でも・・・」 「?」 魅月さんはそこで言葉を切る。でも、何だというのだ。 もしや、実はこの家は張りぼてで、中は小さな小屋だった、とか? んなわけないだろ、実際に中に入っているんだから。 などとアホなことを考えつつも、自らツッコミを入れ、その考えを打ち消す。 「でもね、佐伯さん。これは、誰かの犠牲があったからこそ、今の状態でいるの」 わかったようなわからないような、なんとも曖昧なことを言う。 「はあ、それはまた・・・。ご先祖様も苦労したんですね」 「・・・ええ、そうね・・・」 なぜか魅月さんは悲しそうな顔をし、目を伏せる。が、すぐにぱっといつもの表情に戻り、 「変なことを聞いてごめんなさいね。今日は疲れたでしょう、湯冷めしないうちに、早くお休みになったほうがいいですよ。」 と言い残し、廊下の奥へ消えていった。 なんなんだ・・・一体・・・ 物事をはっきり言わないのが趣深いとかいうのがあるが、この家の人達はそういう事を家憲としているのだろうか?言いたいことがあるならはっきり言って欲しいもんである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その夜、ふと俺は目が覚めた。枕元に置いておいた腕時計の針が、真夜中を指している。 布団から出ると俺は、気分を紛らわそうとトイレにたった。襖を開け廊下へ出ると、足元に置かれた明かりが廊下をぼんやりと照らしていた。取り敢えず、何も見えない道を歩くという心配は解消されたわけだ。 これほど古い家なのだから、もしやトイレが外にあるのではないかと心配だったが、それは杞憂であった。念のため言っておくが水洗である。まあ、考えてみれば、年頃の娘が居るのにいつまでも昔のままというわけにはいかないだろう。 などと、とりとめのない事を考えながら歩いていると、分かれ道に差し掛かった。 左右に伸びる廊下は、どちらも同じ風景である。今日、女中さんに案内されたときは、ただぼんやりと後をついて行ったので、どっちに曲がったかなんて覚えていない。先程部屋へ戻ったときは、やっぱり女中さんが案内してくれたのだ。 さて。どちらへ行ったらよいものか。例えどちらに行ったとしても、普通の民家なのだから異次元空間なんかに迷い込んだり、いきなり落とし穴が出現したりなどということはないだろう。せいぜい他の人の部屋の前を通り過ぎるだけだ。夜中だから、多少迷惑をかけるかもしれないが、間違ったら間違ったで引き返せば済むだけのこと。まあ、深雪あたり、不機嫌そうに出てきて文句の一つも言いそうではあるが。 というわけで、俺はなんとなく左に行くことにした。ほの明るい廊下をしばらく歩いていたが、なかなか自分の部屋にたどり着かない。どうやら反対側だったようである。 しかたなく引き返そうと、足を止めようとしたその時。 目の前の襖が少しだけ開いていることに気付いた。そこから淡い明かりが漏れている。こんな時間に起きているなんて、一体何をしているのだろうか。他人の部屋を勝手に覗くのはあまり良いことではないが、好奇心がそれに勝り、つい、中を覗いてしまった。 そこは、六畳ほどの和室であった。部屋を満たす月明かりの中、なにかが、そこに居た。 女の子である。肩まで伸ばした髪に、着物姿の、可愛らしい娘であった。俺に気付くと、にっこりと笑いかけてきた。つられて俺も、顔が緩む。 「どうした?こんな時間に。眠れないのか?」 女の子は首を横に振る。 「うーん、ま、とにかく、夜更かしはお肌の天敵だからな。こういうのは若いうちから心がけなくちゃ・・・」 と、俺が話していると、急に女の子の顔が強張る。どうしたのか尋ねようとしたその時、ふと、俺の後ろに人の気配を感じた。 振り向く暇もあらばこそ。 「________っ!!」 俺は後頭部を強打され、悲鳴を上げる間もなく床に倒れ伏した。 「・・・・・やはり・・・・・の・・・・・か・・・」 「・・・が・・・・・・・・いた・・・・」 薄れゆく意識の中、数人の男の会話が聞こえてくる。が、ぼそぼそとはなしているので聞き取りづらい。 急に、口元に何かを押さえつけられる。おかしな匂いとともに、俺の意識は遠のいていった。今日二度目の気絶であった。 |