勿忘草 第十話

 

 ・・・・・・・・・・


どれくらい進んだだろうか。
月明かりのみの薄暗い廊下を、俺はしばらく歩いていた。
はて。
間取りがおかしい。
このお屋敷の大きさからすると、この方角を歩くとそろそろ突き当たりに来てもおかしくないはずだ。
だが。
廊下はさらに奥の方に、ずっと続いているように見える。

「・・・・ん?」

誰にともなく俺は呟く。
一瞬だが、何か空気に違和感があった。見た目も変わらない、何にも触れてはいないのだが、何かが切り替わったような、不思議な感覚だ。
きん、と軽い耳鳴りがする。

ふと。
あのときの出来事は半分夢だったのではないか、という思いもある。だがここまで来るとやはり、あれは本当の出来事だという期待も膨らんでくる。
ここ数日の奇妙な現象だ、ここから何が起きても少々な事では驚かない。

と、

「やはりお前も来たか」

「うおわ?!」

思わず変な声が出た。
驚かない、と言った矢先にこれだが、さすがに誰もいないと思っていたのに話しかけられたので、やっぱり驚いてしまったのだ。
薄暗い中、そいつがどこにいるのか確かめる。

ひゅんっ

白い光が一閃、俺の脇をかすめたような気がする。

「な、何だ?」

確認する間も無く、さらに影が動く。

「え、ちょっ・・・」

シュッ、と空気の切れるような音がしたかと思うと、片腕がぴりぴりと痛み出した。
触ってみると、うっすらと赤く血が滲んでいる。

「おい、マジかよ!刃物はナシだろ流石に」

俺は謎の人物に抗議の声を上げた。

「ふん。ガキのくせに。お前もここが目当てでこの屋敷に入り込んだんだろ?」

ざらざらしたような中年くらいの男の声がする。

「なんの話だよ」

ぼんやりとだが、暗闇に慣れた目がそいつの姿を捕らえる。
猫背気味の小柄な男。
こいつ。
昼間に見かけた怪しいおっさんじゃないか。

「なんでここにいるんだよ。つーか、どうやってここまで入ってきたんだ?不法侵入じゃねーのか」

おっさんはノドの奥をくくっ、とふるわせて笑った。

「結界がな。なぜか今日に限って弱まってたんでな。
 これはチャンスだと思って来てみたんだが。」

手に持った刃物を弄びながら、

「まあ、ライバルは少ない方が良い。
 だからここで死んでもらう」

おっさんはそう言うと、すっと身を低くしつつ刃物をこちらに構えた。
何を言っているか分からない上に、こいつ俺を刺そうとしているのか?

「おいおい、まじかよ」

なぜこんなところで、訳の分からんおっさんに刺されなければならんのだ。
ちなみに俺はTシャツに短パンという軽装だ。武器や防具になりそうなものも無し、丸腰である。

さてどうする。

真っ正面から行っても、上手いこと撃退できる自信はない。
そんな心得もない。
相手は刃物を持っている。

・・・・そういえば、あの時俺を殴って気絶させた誰か。
こう言うときに限って、なんで出てこねーんだ?俺を監視してるんじゃないのかよ。
先ほどはいないことにホッとしていたくせに、今度は身勝手に、見知らぬ誰かに悪態を付く。

「どうした、何を黙っている。
 大人しく、ここから去れば見逃してやるぞ」

・・・もし、今ここから逃げたとしても、今度はあの女の子に危害が及ぶかもしれない。
さすがにそれはまずいだろう。
このおっさんの目的は分からないが、ここから先に行かせるわけにはいかない。

まず。
明るいところまで誘導する。
その後、大声で騒ぐなりして、この家の人を呼ぶ。
そして警察に突き出す。

こんな感じの計画はどうだろうか?

他にこれといって思いつかないので、まずは少しずつ後ずさってみる。

おっさんはじりじりと、俺に近づいてくる。

さらにちょっと後ろに引く俺。
そんなやりとりを何度か繰り返す。
だいぶ進んだ気がする。
いける・・・か?

「悪いが、お前に長く付き合ってる暇無いんでな」

「え」

とん、と床を蹴ると、おっさんは一気に間合いを詰めてきた。

まずい。

刺される?

俺は咄嗟に身を固くする。
刃物が接近してくるのが見える。

何となく手を前に構え、防御の姿勢をとりながら、思わず目を瞑ってしまった。



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