勿忘草 第十話

 

 


とすっ。

からんからん。

・・・おや?

何かを打つ音、続いて、床に堅いものが落ちる音がした。

「な、なんだお前ぐふ」

どさ。

おっさんが何かを言い掛けて、うめき声をあげた。
その後、重い物が倒れる音。

恐る恐る目を開けると、おっさんとはまた違ったシルエットが、にゅっと出てきた。

「大丈夫ですか?お怪我はありませんか」

その声と共に、辺りがほわっと明るくなる。
気が付かなかったが、足下に間接照明が置かれていたようだ。そこに明かりが点り、相手の姿が見えるようになった。

すらりと背が高く、端正な顔立ち。
白い着物に青い袴、神主を想像させる和装だ。
そして片目には眼帯を付けている。
昼間とはずいぶん雰囲気が違うが、おそらく彼だ。

「あ、安倍・・・さん?」

彼はにっこりとほほえんだ。

「どうしてこんなところに・・・」

その質問には答えずに、彼は自分の袖口をごそごそとまさぐる。

「腕に切り傷がありますね。
 取りあえず、こちら。貼っておきましょう」

ぴ、っと絆創膏を取り出すと、慣れた手つきで俺の腕、先ほど切られたところに貼り付けた。

「あ、ありがとうございます。」

ぺこりと頭を下げたところで、床に落ちる大きな塊が視界に入ってきた。
多分、さっきのおっさんが床に倒れているんだろうな、とは思う。

「あれは・・・」

と俺は指を指す。

「そうです。あなたが気を逸らしてくださったおかげで、助かりました。彼には手を焼いていたもので」

「いえ、こちらこそ、危ないところを」

「ははは、しばらく見てた甲斐がありましたねー」

安倍さんはうんうん、と頷いた。

「え」

「いやあ、どのタイミングでいこうかな、なんて考えていたんですよ」

こちらは命の危機に瀕していたというのに、なんとも呑気な口調である。
というより、ずっと見てたのか?

「どこからですか」

「どこから?そうですね、二人がはち合わせたところからでしょうか」

ほぼ最初っからじゃないか。

「早く助けてくださいよ」

「二人でどんな会話するのかな、と少々興味が沸きまして」

「どんなも何も、ほぼ初対面ですよ!というより、このおっさん、何なんですか?」

いかん。
この人のペースに引き込まれてはいけない。
取りあえず、話を軌道修正する。
聞きたいことだって山ほどある。

「この方ですか。簡単に言いますと、悪い人ですね」

「簡単すぎるわ。・・・人の家に夜中に侵入したあげく、問答無用で俺を刺そうとするんだから、そりゃ悪い奴だろうけど」

「お分かりいただけましたか」

「あ、はい。いや、そーじゃなくてですね」

・・・質問を変えることにする。

「安倍さんはどうしてここにいるんですか?」

夜中にこんなところにいる自分も自分だが、それは置いておく。

「お仕事です。」

そう言いながら、両方の袖を軽く摘みながら着物モデルがグラビアに写るように、ポーズをとって見せた。

「神主さん?お祓いとかですか」

そんな感じの着物を着ている。
昼間は白衣だったな、そういえば。

「近いですね。説明が面倒なので、そういうことにしておきます」

当てずっぽうで言ってみたら、
答えてくれるどころか説明を放棄されてしまった。
このペースで会話してたら、数々の疑問について何も解決しないまま、朝を迎えそうである。
何も話す気はない、ということだろうか。

それに。
この人に見られてしまったのだから、もうあの女の子と対面とか、それどころではなさそうだ。

「もう、夜も遅いので、これで失礼します」

俺は仕方がないので、自分の部屋に戻ることにした。
この人といい、倒れているおっさんといい、気になるところはあるけれど。これ以上ここにいたら、もっと面倒なことになりそうだ。

と。

安倍さんの背後に、何か白い物が見える。
間接照明のほのかな明かりに照らされて、ゆらゆらと揺れている。
徐々に近づいてきて、形が判別できるほどになる。
人だ。黒い髪、白い服、華奢な体つき・・・・

もしや、あのときの・・・
どうしてここにいる?
いや、実体として存在するのか?

「先生?どうされました、ずいぶんお時間掛かっているようですが?」

その人から発せられた声は、俺の知っている人物の声だった。

「え、美月さん?」

美月さんだ。優しく柔らかな、透き通る声。
ようやく姿を確認できるまでそばに来た。
肩までの黒い髪、白いサマーワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていた。

「あら、佐伯さん。いらしてたんですか」

それほど驚いた様子もなく、美月さんはこちらに微笑みを向けた。

ここの住人なのだから、どこに居ても不思議ではない。
もしかすると、この奥に普通に住居スペースがあるのかもしれないし。

こうなると、いよいよ戻るべきだろう。
夜中に人の家の中をうろうろするのも、あまり宜しくはない。

「えーと、すみません。トイレに起きたら間違って来ちゃいました。
 あはは・・・と、いうわけで、僕そろそろ帰りまーす」

緊張のあまり、一人称を僕と言ってしまう。
それはそれとして、俺は精一杯の笑顔を浮かべると、元来た道を引き返すことにした。

「お待ちください」

美月さんはそう言うと、俺の手をぐっと掴んだ。

「え、あ。な、なんですか?」

どきりとして振り返ると、そこには真剣な美月さんの顔がある。

「佐伯さんもご一緒に、こちらへ来ていただけますか」

こちらって、どこに?

「で、でも、あの・・・」

「お願いします」

ぐぐ、っと握った手に力が入る。

安倍さんはと言えば、相変わらずの笑顔でこちらのやりとりを眺めている。

「お願いします」

「う、あ、はい・・・」

その美月さんの何とも言えない迫力に気圧されて、俺は素直に従うことにした。




 ***

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