とすっ。
からんからん。
・・・おや?
何かを打つ音、続いて、床に堅いものが落ちる音がした。
「な、なんだお前ぐふ」
どさ。
おっさんが何かを言い掛けて、うめき声をあげた。 その後、重い物が倒れる音。
恐る恐る目を開けると、おっさんとはまた違ったシルエットが、にゅっと出てきた。
「大丈夫ですか?お怪我はありませんか」
その声と共に、辺りがほわっと明るくなる。
気が付かなかったが、足下に間接照明が置かれていたようだ。そこに明かりが点り、相手の姿が見えるようになった。
すらりと背が高く、端正な顔立ち。 白い着物に青い袴、神主を想像させる和装だ。 そして片目には眼帯を付けている。
昼間とはずいぶん雰囲気が違うが、おそらく彼だ。
「あ、安倍・・・さん?」
彼はにっこりとほほえんだ。
「どうしてこんなところに・・・」
その質問には答えずに、彼は自分の袖口をごそごそとまさぐる。
「腕に切り傷がありますね。 取りあえず、こちら。貼っておきましょう」
ぴ、っと絆創膏を取り出すと、慣れた手つきで俺の腕、先ほど切られたところに貼り付けた。
「あ、ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げたところで、床に落ちる大きな塊が視界に入ってきた。 多分、さっきのおっさんが床に倒れているんだろうな、とは思う。
「あれは・・・」
と俺は指を指す。
「そうです。あなたが気を逸らしてくださったおかげで、助かりました。彼には手を焼いていたもので」
「いえ、こちらこそ、危ないところを」
「ははは、しばらく見てた甲斐がありましたねー」
安倍さんはうんうん、と頷いた。
「え」
「いやあ、どのタイミングでいこうかな、なんて考えていたんですよ」
こちらは命の危機に瀕していたというのに、なんとも呑気な口調である。 というより、ずっと見てたのか?
「どこからですか」
「どこから?そうですね、二人がはち合わせたところからでしょうか」
ほぼ最初っからじゃないか。
「早く助けてくださいよ」
「二人でどんな会話するのかな、と少々興味が沸きまして」
「どんなも何も、ほぼ初対面ですよ!というより、このおっさん、何なんですか?」
いかん。
この人のペースに引き込まれてはいけない。 取りあえず、話を軌道修正する。 聞きたいことだって山ほどある。
「この方ですか。簡単に言いますと、悪い人ですね」
「簡単すぎるわ。・・・人の家に夜中に侵入したあげく、問答無用で俺を刺そうとするんだから、そりゃ悪い奴だろうけど」
「お分かりいただけましたか」
「あ、はい。いや、そーじゃなくてですね」
・・・質問を変えることにする。
「安倍さんはどうしてここにいるんですか?」
夜中にこんなところにいる自分も自分だが、それは置いておく。
「お仕事です。」
そう言いながら、両方の袖を軽く摘みながら着物モデルがグラビアに写るように、ポーズをとって見せた。
「神主さん?お祓いとかですか」
そんな感じの着物を着ている。 昼間は白衣だったな、そういえば。
「近いですね。説明が面倒なので、そういうことにしておきます」
当てずっぽうで言ってみたら、
答えてくれるどころか説明を放棄されてしまった。 このペースで会話してたら、数々の疑問について何も解決しないまま、朝を迎えそうである。
何も話す気はない、ということだろうか。
それに。
この人に見られてしまったのだから、もうあの女の子と対面とか、それどころではなさそうだ。
「もう、夜も遅いので、これで失礼します」
俺は仕方がないので、自分の部屋に戻ることにした。
この人といい、倒れているおっさんといい、気になるところはあるけれど。これ以上ここにいたら、もっと面倒なことになりそうだ。
と。
安倍さんの背後に、何か白い物が見える。 間接照明のほのかな明かりに照らされて、ゆらゆらと揺れている。
徐々に近づいてきて、形が判別できるほどになる。 人だ。黒い髪、白い服、華奢な体つき・・・・
もしや、あのときの・・・
どうしてここにいる? いや、実体として存在するのか?
「先生?どうされました、ずいぶんお時間掛かっているようですが?」
その人から発せられた声は、俺の知っている人物の声だった。
「え、美月さん?」
美月さんだ。優しく柔らかな、透き通る声。 ようやく姿を確認できるまでそばに来た。
肩までの黒い髪、白いサマーワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていた。
「あら、佐伯さん。いらしてたんですか」
それほど驚いた様子もなく、美月さんはこちらに微笑みを向けた。
ここの住人なのだから、どこに居ても不思議ではない。
もしかすると、この奥に普通に住居スペースがあるのかもしれないし。
こうなると、いよいよ戻るべきだろう。
夜中に人の家の中をうろうろするのも、あまり宜しくはない。
「えーと、すみません。トイレに起きたら間違って来ちゃいました。
あはは・・・と、いうわけで、僕そろそろ帰りまーす」
緊張のあまり、一人称を僕と言ってしまう。
それはそれとして、俺は精一杯の笑顔を浮かべると、元来た道を引き返すことにした。
「お待ちください」
美月さんはそう言うと、俺の手をぐっと掴んだ。
「え、あ。な、なんですか?」
どきりとして振り返ると、そこには真剣な美月さんの顔がある。
「佐伯さんもご一緒に、こちらへ来ていただけますか」
こちらって、どこに?
「で、でも、あの・・・」
「お願いします」
ぐぐ、っと握った手に力が入る。
安倍さんはと言えば、相変わらずの笑顔でこちらのやりとりを眺めている。
「お願いします」
「う、あ、はい・・・」
その美月さんの何とも言えない迫力に気圧されて、俺は素直に従うことにした。
***
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