勿忘草 プロローグ

 

   ・・・かごめかごめ

   かごのなかのとりは

   いついつねやる

   よあけのばんに・・・・

 寺の境内から、そんな歌が聞こえてきた。

 子供たちが数人、一人の子を囲んでくるくる回っている。

 小学校にあがる前の、まだ小さな子供たちだ。

 日が沈みかけたこの時間、辺りは橙色に染まっていた。

 烏が三羽、カアカアと鳴きながら空へと羽ばたいている。

   ・・・つるとかめがすべった

   うしろのしょうめん だあれ

 歌が終わり、子供たちは歩くのを止めた。

 鬼になった女の子は顔を手で覆ったまま、考え込んでいる。

 おかっぱに切り揃えた綺麗な黒髪が、ふわりと風に舞った。

 周りの子供たちは答えを知っているのだから、なかなか答えられない女の子

が可笑しくてしょうがなかった。だが、声を漏らすといけないので、必死に笑いを

堪えていた。

 やがて、

「たっくん?」

 女の子は答え、後ろを振り返る。

 たっくんと呼ばれた男の子は一瞬どきりとした。当たったのは勿論の事、振り

返った時の女の子の顔が何だか切なげに見えたからだ。この男の子は、以前からこの少女

のことを気に掛けていた為、尚更気になった。

 だが、小学校にあがる前の子供なので、切ないという表現が思いつかず、

ただ悲しそうな顔、という表現に留まった。

「さ・・・さや・・・」

 思わず、名前を呼んでしまいそうになる。だが、その声は友達の声にかき消さ

れた。

「あたり!」

「次はたっくんの番だよ。」

「あ、う、うん・・・。」

 ふと現実に引き戻され、慌てて輪の中央に行こうとすると、

「君達、ジュースでも飲まないかね?」

 ふいに後ろから声がした。

 寺の住職が、ジュースの入ったコップののったお盆を手に持って立っていたのだ。

 この子供たちは、ここの寺に良く遊びに来ていたので、住職とも顔馴染で、こう

してよく、飲み物やお菓子をご馳走になっていたのである。

 その声がしたとたんに、子供たちはいっせいにジュースのほうに駆けて行き、

次々にコップを手に取った。

 そして、石でできた階段に座りジュースを飲みながらお喋りに夢中になっている。

 お盆の上には、ぽつんとコップが一つ残されていた。

「おや、みんな、一人ずつジュースは取ったのかい?一つ余っておるぞ。」

 住職は首を傾げながら子供たちを見回した。みな、それぞれの手に一つずつ、

コップを持っている。

「確かに人数分持ってきたと思ったのだが・・・。数え間違えたかのう・・・」

 禿げた頭に手をやりながら、腑に落ちない、といったふうに顔を顰めていた。

 すると、子供達のうちの一人が、徐にコップを手に取った。

 先程、かごめかごめで鬼になろうとしていた男の子だな、と住職は思った。

「君がもう一杯飲んでくれるのかい?」

 にこやかに語り掛けると、男の子は首を左右に振り、

「ううん、これは紗埜ちゃんの。他の人に取られないように、持っていてあげるんだ。」

 そう言って、ちょっと照れ臭そうに笑った。

「そうか。君は優しい子だね。で、その紗埜ちゃんはどこにいるんだね?」

「うん・・・。なんか、ジュースを飲もうとしたら急に居なくなっちゃって。

 みんなに聞いても、知らないって言うし・・・」

 男の子は顔を曇らせた。

「ふむ。わしは暫く君達の様子を見ていたが、途中で抜け出すような子は見かけなか

 ったが・・・。どんな子かね?」

「おかっぱの子だよ。僕が鬼になる前に鬼になってた子」

「君が・・・鬼になる前?男の子じゃあなかったかい?」

「違うよ、女の子!紗埜ちゃんだったよ。ねえ、加奈子ちゃん」

 男の子は、近くに座っていた加奈子と呼ばれた女の子に声を掛けた。

 加奈子はきょとんとした顔で、

「サヤ・・・ちゃん?たっくん、誰、その人。ねえ、知ってる?」

 加奈子は近くの子供達に聞いていったが、皆一様に首を横に振るばかりだった。

 その瞬間、男の子は頭を思い切り石で殴られたような、そんな衝撃を受けた。

 さっきまで一緒に遊んでいた子の事を、自分以外誰一人覚えていないなんて。

 そんなことがあるだろうか。

 実際、起こってしまったのだが、やはり信じられなかった。

 この日はとりあえず友人達に説得され、夢でも見たということに落ち着いたのだが、

納得はできなかった。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・

 次の日、友達とはお寺で遊ぶ約束はしていなかったのだが、何となく気になって、

男の子は一人で寺に来た。

 辺りは閑散としており、鳩が二、三羽、地面を突付いているだけであった。初夏だと

いうのに、何だか肌寒い感じがした。

 不意に、一陣の風が舞った。

 男の子はたまらず顔を手で覆い、風が通り過ぎるのをじっと待った。

 手を下ろすと、目の前に鮮やかな赤い塊が目に入った。一人の少女である。

 少女は、鮮やかな赤い振袖を身に纏い、切れ長の目でじっとこちらを見つめていたの

である。無表情で、身動ぎ一つせず、まるで等身大の日本人形が立っているかのようだ。

「紗埜ちゃん・・・?」

 そう、昨日忽然と姿を消した、あの少女であった。少女は、もともと色白なのだが、

今日は一段と白く、青白く見えた。

「たっくん、あたし、もうみんなとあえない」

 唐突にそう切り出すと、つうと一筋、涙をこぼした。能面のような顔に流れた雫は、

何だかとても不自然な気がした。

「紗埜ちゃん、それってどういう事?」

 少女はそれに答える代わりに、ふと横を向いた。つられてそちらの方に目をやると、

鬱蒼と茂った森に埋もれるように、和風の大きな屋敷があった。ここの寺は、石段を数分

上った高いところにあるため、下の町を一望できる。屋敷は、町とは反対の方角にひっそ

りと建っていた。

「あの大きな家がどうかしたの?」

 そう言いながら少女のほうに向き直ると、そこには誰も居なかった。

「紗埜ちゃん!?」

 男の子はきょろきょろと辺りを見回すが、人っ子一人居なかった。思わず自分の頬を

つねってみる。

 涙が出た。

 痛かったからではない。

 幼いこの少年にはこの気持ちを言葉で表すことができなかった。それでもなお、

涙が後から後から溢れ出てくる。

 だが、暫くすると、自分がなぜ泣いているのか分からなくなった。

 どうしてここに来たのか、なぜここに立っているのかさえ、分からなくなった。

 ただ一つ、おかっぱに切り揃えた髪の、切れ長の目の、赤い振袖を着た少女の幻影が、

少年の頭の片隅に、薄っすらと残っていたのであった。

 ふと、手を広げると、いつのまにか何かを握っているのに気付いた。

 それは、花であった。薄紫色の小さな花を幾つも房状につけている、かわいらしい花。

 ・・・その後、彼女が現れることはなかった。

     

  novel     第一話     menu